たった一度、女性から胸ぐらを掴まれ学んだこと

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物心ついたころから、母親がスナックのママでした。

山形県内の小さな繁華街にあるスナックでしたが、店は大きく、そして繁盛していました。一番多い時は10人近く若い子を雇っていたと思います。

 

小さい頃は夜になると家の中に母親がいないことを不満に思ったりしましたが、そのことで母親を責めるようなことはしませんでした。

時々泥酔して帰ってくる母親は「立派な労働者」であることを子供ながらに知っていたのかもしれません。

 

僕は高校生になると、母親のスナックを手伝うようになりました。

と言っても、母親の店の近くの居酒屋でバイトをしていたので、仕事が終わったら閉店際の母親の店に寄って片付けを手伝ったりする程度です。

窓の無い空間に残るウイスキーやタバコの臭い。口紅のついたグラスや吸い殻。高校生の僕の目には、それが妙に色っぽく映り、いつも少し緊張していました。

 

お客さんは県内の公務員が中心で、中学時代の教師が泥酔していたりしました。

 

「先生、閉店だよ。もう帰りなよ」

「タクシー呼んでくれ。みんなには言うなよ」

「わかってるよ」

 

山形の、狭い田舎の、狭い繁華街。

それでも僕にとってそこは、同級生たちが知らない、立派な大人の世界。

大人の仲間入りができたような気がしていました。

 

僕が母親の店に手伝いに行く楽しみのひとつに、自分より年上のキレイなお姉さんたちに会えることがありました。

彼女たちは僕よりも5~10歳年上で、化粧をして、いつも肩や脚の出る服で着飾っていました。そして、たまに手伝いに来るママの息子である僕に冗談を言ったり、からかったりして、いつもかわいがってくれました。

同級生たちがおぼこく見えてしまい、今思えば10代、20代の僕が年上ばかりと付き合っていたのは彼女たちの影響が大きかったのかもしれません。

 

大学生、会社員、フリーター、シングルマザー。彼女たちは昼は別の顔を持っていましたが、スナック一本の子もいました。きっと東京のスナックで働いているアルバイトの子は「何者」かになるためバイトをしている人が多いんでしょうけど、田舎のスナックはそれが「生業」になっている人が多い気がします。

 

その中でも、忘れられない人がいます。

 

カヨコさんです。

本名はまったく違うのですが、社会現象になった野島伸司三部作ドラマ「未成年」に出てくる安西加代子に似ていて、カヨコと呼ばれるようになったことを話してくれました。

彼女はきつめの顔をしていましたが、女の子の中で一番明るく、お客さんからも一番人気がありました。彼女が店内にいるかいなかで、お店の雰囲気が変わるような存在感を持っていました。手を叩いてガハハと大きな声で笑い、よく飲んで、そして、よく酔いつぶれていました。

母親の管理が行き届いた店だったので、女の子が不用意に持ち帰られるようなことは無かったのですが、閉店後の店内でパンツ丸出しで眠るカヨコさんに自分のシャツをかけたのは二度や三度ではありません。

そして、彼女は東京出身で、それだけで山形から出たことが無かった高校生の僕には、とてもまぶしく映りました。

 

カヨコさんは起きると、時々カラオケで森田童子さんの「ぼくたちの失敗」を歌います。声を張らず、泣きもせず、淡々と歌います。

 

「 春の木漏れ日の中で 君の優しさに 埋もれていた僕は 弱虫だったんだョネ 」

 

彼女の歌は下手でしたが、それでもいつも底抜けに明るいカヨコさんが歌う、少し暗い歌には不思議な魅力がありました。客がいない店内で、母親もトサカのような前髪にタバコの煙を浴びせながら「なんか聞き入っちゃうのよね」とカヨコさんの気が済むまで歌わせていました。

 

僕は、カヨコさんから恋愛を教わりました。

当時付き合っていた僕の彼女が悲しんでいる時はその原因を、誕生日には送るべきプレゼントを、生理の辛さまで。何から何までカヨコさんに教えてもらいました。僕も、何かあればすぐにカヨコさんに相談しました。「君は優しすぎるよ」カヨコさんはいつもそう言って僕の背中を押してくれました。

これまでの人生で、自分の恋愛を相談したのは彼女だけです。

 

高校三年生。卒業後に東京に上京することが決まった僕は、それきっかけに付き合っていた彼女と別れました。

 

カヨコさんに、めちゃくちゃ怒られました。

怒られたのは、別れたことではなく、別れ際の僕の立ち振る舞いです。

僕は、自分が悪者になりたくなくて「君のことが嫌いになったわけじゃない」「このままだとお互いが辛くなる」という自分の都合のいいことばかり整然とならべ、別れたのです。感情ではなく、状況ばかりを伝えたのです。

 

そのことに、怒ったのです。

怒り、という生易しい言葉ではなく、激怒です。

女子が、田舎の高校生の、胸ぐらを掴んで、マジ切れしたのです。

サントリーオールドが並ぶ壁に僕を押し当て、カヨコさんは怒鳴るように、諭すように、言いました。

 

「本当に優しい男は、気が利くとか、味方でいてくれるとか、そんなんじゃないの。本当に優しい男は、お別れがちゃんとできる男なの。別れは、切り出す側が、悪者になるの。とことん悪者になるの。ちゃんと傷つけてあげるの。その人が、新しい一歩に、踏み出せるようにしてあげるの。淡い期待なんか抱かせちゃダメ。縛り付けちゃダメ。許してもらおうとしちゃダメ。それは、相手の優しさに甘えているだけなの。ちゃんとしたお別れができれば、それは、君の財産になるから。お願いだから、告白した時以上に、勇気を出して。弱虫にならないで。このことを、一生、忘れないで」

 

数年後、母親から聞いたのですが、カヨコさんは男を探して東京から山形まできていたのです。

カヨコさんが東京で付き合っていた男が山形出身で、男からの「君のことが嫌いになったわけじゃない、待っていてくれ」の一言を信じ、待ち続け、連絡が取れなくなり、何か当てがあるわけでもないのに、大好きな男を追って山形まで着ていたのです。

スマホも、SNSも無い時代。

東京生まれの女性が、知り合いもいない雪国でアパートを借り「いつか会えるかもしれない」という根拠なき期待を心の支えに、スナックで働いていたのです。

 

しかし、カヨコさんから逃げた男は、地元の女と結婚していました。

 

僕が東京に上京する数日前、カヨコさんは突然姿を消しました。母親にだけはあいさつをして、山形を去ったのです。

 

僕に、ちゃんとお別れすらさせてくれなかったカヨコさん。

今頃どこかで結婚しているのでしょうか。

おばさんになって、どこかのスナックで、ママにでもなって、歌っているのでしょうか。春の木漏れ日の中で、君の優しさに、埋もれていた僕は、弱虫だったんだョネ、と。

 

カヨコさん、僕は大人になりましたが、今でも胸を張れるような恋愛はしていません。

それでも、大切な人との別れの際だけは、あなたから力いっぱい、ギュッと胸ぐらを掴まれた、あの感覚を思い出し、弱虫な自分を殺しています。

そして、僕にちゃんとお別れを言ってくれる人の優しさを、ちゃんと感じれるようにもなりました。 

 

ありがとうございました。

 

おしまい

 

 

【お知らせ】

3月15日、書籍が販売されました。今回の原稿はページ数の兼ね合いで書籍には掲載されておりません。