SNSで出会った女「エピソード1・Instagramの魔物」

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「ねえ、まだ?今どこ?」

 

 

約束の時間まで15分もあるのに彼女はご立腹だ。

一度も会ったこともない女に僕は叱られている。

 

「今渋谷だからあと5分くらい。美女を待たせるなんて、申し訳ない」

「ほんとだよ」

 

東京都目黒区中目黒。19時50分。

朝からボタボタとだらしない大粒の雨が降っていた。

人でごった返す改札。横断歩道手前のガードレールに彼女の姿を見つけた。会うのは初めてだったが、お互い顔は知っているのですぐに見つけることができた。イヤホンをし、退屈そうにスマホを見ている。目前まで迫った春を楽しむように街行く人のジャケットやパンツはカラフルだった。そこに赤や青の傘が彩りを加える。そんな中、白いシャツの彼女が一番カラフルに見えた。

 

彼女の真横に立ち、時計をトントンと叩て見せる。約束の10分前に到着したよ、と伝えるためだ。彼女は不機嫌そうな顔でこちらを一瞥し、スマホに顔を戻す。

 

「はじめまして!おまたせ!」

イヤホンをしている彼女にも伝わるように大きい声を出す。

信号を待つ人達の視線が集まるのを感じる。ようやく彼女はイヤホンを外し

「声デカくない?目立つからやめてよ。ボリューム調節機能壊れてるの?もしそうならすぐに修理して」

コミュニケーションが始まった。

 

「インスタグラムで見た変な柄の傘じゃないんだね。あの絵画みたいな柄」と彼女の持っているビニール傘を見ながら伝える。

「それは仕事場に忘れてきたの。そんなことより知ってる?今日、仕事が早く終わって30分も前に来たの。コーヒーでも飲もうかなって思ったんだけど、ビール飲みたいし、ここで待ってたの。だから、今の時点で20分も待っているの。あなたが定刻通りにきてたらあと10分も待つことになってたの。30分も人を待ったことないの」

 

この女は何を言っているのだろう。 

 

「今の登場のしかた、ナンパかと思った。なんならそのナンパされたことある」

「君みたいな無理めな女ナンパするかよ」

「無理めじゃない女ならナンパするの?」

「負け戦は好きじゃないんだ」

「ところで、インスタの印象と全然違うね。これは、いい意味でね。わたしガリガリな男嫌いなの。スーツが似合わないから。筋トレは?してる?あと声のボリュームは注意してね。元気なことはいいことだけど、耳はとても健康なの。そんなことより早く店行こ。お腹へった。お店どこ?靴が濡れるの嫌だから遠いならタクシー乗ろうよ」

「よくしゃべるね。情報量が多くて処理がおいつかない。とにかく僕はあの絵画みたいな柄の傘が見れなくてがっかりした」

 

昔の彼女は普通の会社員兼サロンモデルだった。インスタグラムが彼女を有名にした。フォロワーは20万人を超えている。本人は「インスタの初期からコツコツやってただけ」と言うが、コスメ、ヘアスタイル、ファッション。どれをとっても彼女の写真は美しい。様々な商品をPRするライター業もやっている。いわゆるインフルエンサーと呼ばれる界隈の人だ。

胸まであるロングヘア―、印象的な目、作り物のような鼻筋。写真だと大きそうに感じた身長は思っていたよりも低かった。顔の小ささがそう見せているんだろう。東京は美人で溢れかえっているが、彼女はまちがいなく上位1パーセントに入る。僕が24時間稼働のベルトコンベアでアルバイトが量産した人間なら、彼女は職人が神様からのオーダーを受けて、ていねいに作られたに違いない。

 

DMでやり取りをし始めてから1年以上の時間が経ったが、会うのは初めてだった。タイミングが合わなかったということもあるが、僕に勇気が無かったからだ。彼女からの「そろそろ至近距離でコミュニケーションしようよ」のメッセージがきっかけで会うことになった。 

 

彼女は自分のビニール傘を隣に立っていた女の子に「傘、無いんですか?迷惑じゃなかったら、これ使ってください。私はこの人に傘に入れてもらいます」とプレゼントし、僕と相合傘で歩く。彼女が濡れないように傘を彼女のほうに傾けながら昔見た漫画で同じようなシーンがあったなと思いだしたが彼女は絶対に知らないだろうし、言葉にするのを止めた。

 

「傘、あげたんだね。優しいじゃん」

「あの人、ずっと駅の前で待ってたの。誰かを。でもその人は来なかった。たぶん男。だから男がちゃんと来た私は傘を渡す必要があったの。それに、ビニール傘嫌いなの。いかにも量産品でしょ」

「よくわかんないけど、上から目線ってことは伝わったよ」

「さっきまで対等だった。そんなことより100メートルね。わたし、お腹空きすぎて100メートルしか歩ける自信ないの」

 

途中、すれ違った女の子に「あの、インスタ見てます」と声をかけられた。彼女は「ありがとうございまーす」と言って笑顔で手を振っている。女の子から僕はどう見えていただろうか。彼氏か、仕事関係か、もしかしたら目に入っていない可能性もある。いずれにせよ、背筋が伸びた。

 

「ねえ、あと50メートルしか歩けない」

「優しいな。君が100メートルしか歩けないと言ってからもう80メートルは歩いた。にもかかわらずまだ50メートルも歩けるって言ってくれる」

「数えてたの?細かい男は嫌われるよ」

 

店は中目黒の住宅地にある静かな和食屋さんにした。普段のデートで使う店よりも高級な店だ。一人でいるときは食事に執着がない。サラダチキンを袋から直接食いながらビールで夕飯はおしまいだ。その分、誰かと食事するときは良いものを食べたい。特にデートでお金を使うのはこれっぽっちも惜しいと思わない。

 

「ねえ、この店エロいね」

カウンターに座るなり僕にグッと顔を寄せて彼女は言う。ほんのりと香水の香りがした。嗅いだことない上品な香り。胸いっぱい吸い込みたい。あとで香水の名前を聞いておこう。

「ほら、見て、このカウンター。明らかに不倫でしょっていうカップルが3組。逆に、不倫に見えないの私たちくらい。私たちは恋人に見えるのかな。まさかSNS経由で今日初めて会った者同士とは思わないよね。今日、日本中で何人の人がSNSで出会ったと思う?きっとびっくりするくらいの人数が出会ってると思うんだよね。でも、少し後ろめたさも感じない?」

「SNSの出会いはとっくに市民権を得てるよ」

「ねえ、SNSで出会うって、すごく良いことだと思うの。ツイッターとかインスタってその人の人間性が出るでしょ?匿名ならなおさら。SNSでの出会いは会社や学校での出会いと違って、土台が無いっていう話を聞いたことあるんだけど、あれは違うと思うの。SNSの方がよっぽど土台ができる。言葉の選び方、写真の撮り方、他人との距離感、更新頻度。その人の人間性がもろに出るんだよ?それをさらけ出している者同士がお互いに『会いたいです』『会いましょう』ってなるの。職場でなんとなく仲良く接してる人同士よりも、よっぽど土台ができてると思わない?今日だって、私のこと初対面なのに無礼な女だなって思った?礼儀正しい、おしとやかな女が来ると思った?思ってないでしょ。私もあなたと何度もやり取りしたからこそ、こうやって遠慮なくいつもの自分でいられるの」

 

彼女はよく食べ、よく飲み、よくしゃべり、よく質問してきた。他人との距離感をいい意味で考えない。美人との会話には集中力がいる。顔や所作に気を取られると話が頭に入ってこないからだ。インスタでPRを依頼してくる会社の愚痴とか、確定申告とか、そんな話をしたと思うが、あまり覚えていない。

約3時間以上、会話は一度も途切れることなく続いた。

 

店を出ると日付が変わろうとしていた。二軒目という選択肢もあったが、お互い明日の朝早かったので解散することになった。

 

「ねえ、代々木に住んでるんだよね?私、渋谷だから家まで送って。私が部屋に入ってカギを閉めるところを確認して。今日セックスできるとは思ってないでしょ」

「OK」

 

実際、僕はセックスできるとは思ってなかった。本当に美しい女を前にすると男は性欲を失うようにできている。ビビっている、自信が無い、腰が引けている。そのあたりは全部正解だろう。 

タクシーに乗り、彼女が運転手に行き先を告げる。彼女の年収は知らないが家賃は僕のマンションより高いのは明らかな立地だ。そういえば、インフルエンサーをしているカメラマンの友達がいるが、まあまあな報酬をもらっている。大手からの依頼だと内容によっては10万近い依頼もあるらしい。

 

「アイス食べたい。アイス買って。ガリガリしてない、ちょっと高めの、クリーミーなやつがいい」

「ハーゲンダッツって言えばいい」 

 

彼女のマンションの隣にあるコンビニでハーゲンダッツ数種類、それと、彼女はしっかりした足取りだが、たぶん酔っ払っているから、水も一緒に買う。

予想通り、マンションは立派だった。エントランスロビー大きなソファが見える。たぶん有名なデザイナーのソファだ。

 

オートロックの前でコンビニの袋を手渡そうとすると

「もう忘れたの?あれからまだ30分も経ってないよ」彼女はそう言って袋を受け取らずにオートロックを開ける。

「そうだった。鍵を閉めるのを確認する大事な役目があった」

 

8階まで上がるエレベーターの無言の時間がやけに長く感じた。

 

部屋のドアの前でコンビニの袋を手渡し「じゃあね、また飲もうね。おやすみ」と彼女が部屋に入るのを見送る。

デートが終わる。彼女はよく笑って、きっと楽しんでくれた。そういえば香水の名前を聞くのを忘れた。次会ったときに聞けばいいか。ところで、次は、あるんだろうか。それにしても

 

 

カギが、閉まらない。

ガチャリ、が聞こえない。

 

 

 

 

(え?何?なんで?)

ドアノブを見つめること以外何もできない僕は、きっと間抜けな顔をしていただろう。10秒か、30秒か、もしかしたら1分かもしれない。さっきのエレベーターの何倍も時間が長く感じた。

 

 

混乱していると、ドアノブが回った。

さっき買ったばかりのハーゲンダッツを持った彼女が出てきた。

 

「一口あげる」スプーンで僕に一口食べさせる。

冷たくて、口の中に甘ったるい味が広がる。

 

「ハーゲンダッツのスプーン使わないんだね」

僕がそう言い終わらないうちに彼女は手を大きく広げて僕に抱きつく。

 

「プラスチックのスプーンはダサいからきらいなの。今日はすばらしい出会いでした。ありがとう。次はいつ?そっちから誘ってね」

「うん」

まぬけな声で返事するのが精一杯だった。

 

「じゃあね、おやすみ」 

彼女はスプーンを咥えてドアを閉めた。

 

カギが閉まる静かな音がした。

 

 

「悪魔か……」

蚊の鳴くような声でつぶやく。 

魔物だ。美しい人間の顔をした魔物だ。なんだ最後のハグは。欧米か。なんであんな立ち振る舞いが許されるんだ。普通なのか。東京のインフルエンサー界隈では普通の挨拶なのか。とにかく、逃げろ。これ以上は危険だ。振り返るな。お前じゃ無理だ。本能が訴えかけてくる。正直、手に負えない。年収が3000万円あるとか、元カノが長澤まさみとか、そんなレベルじゃないととても太刀打ちできない。旅人の服と銅の剣でデスピサロに戦いを挑んでしまった。結果、自分の、男としての、オスとしての限界を知った。

 

外に出ると、彼女のマンションが冷たく僕を見下ろしていた。

さっきまで立派なマンションに見えていたのに、今はラスボスの要塞に見える。

 

タクシーを拾い、彼女の香りと、まるで柔らかい陶器のような肌を思い出しながらため息をつく。

 

「お疲れですね。代々木までは明治通りで行きますね。間もなく4月なのに、今日は寒かったですね。朝から雨も降ってたし。さっき上がりましたけどね。雨の方がタクシーは忙しいから降ってもらったほうがいいんですけどね。でも、これじゃ、まだ桜は咲きませんね。でも、早い所だと来週の末くらいから咲くらしいですけどね」

 

運転手が話しかけてくる。情報量が多い。

 

「そうですね……こんなに寒くて、桜なんか咲くんですかね」

「そりゃ、咲くと思いますよ。春ですからね」 

「そうですね」

返事をしながらスマホを取り出す。何件か通知が入っていた。ひとつひとつ既読をつけて返信する。

その中に、さっきまでデートしていた魔物からLINEが来ていた。

開くと、ハーゲンダッツを持った自撮りの写真と「ごちそうさま。次、いつ?」のメッセージ。

こっちが瀕死の状態で、尾っぽ巻いて命からがら逃げ帰っているのに、メラゾーマでとどめを刺された気分になる。

でも、いい。心地いい。安らかに死ねる。勝手に、死ねる。

 

僕たちには、僕たちの恋愛がある。

僕たちとは、誰の事だろう。それは、普通の人と、普通の恋愛だ。普通の恋愛とは何だろう。SNSでの出会いは本当に普通なのだろうか。もう二度と会うのはよそうと思っている自分もいれば、魔物の沼に片足を突っ込んだままいつまでも抜こうとしない僕もいる。たぶん、僕はまた会ってしまう。そういえば、来月もSNSで知り合いになった人と会う約束がある。誰だっけな。

運転手はまだ何かしゃべっていたが「春ですからね」とだけ答えた。

 

おしまい。

 

この物語はフィクションです。

【次回:SNSで出会った女 エピソード2・支配する女】 更新日未定

 

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